no cat no life

19 :名無しさん@十周年:2009/10/16(金) 17:55:02 ID:MVkpniAp0

専業主婦が一般的だったのは高度経済成長期の数十年、たった1世代でしかないという事実

よくあることなんだけど、今現在の社会的な慣習を永続的なものだとみんな勘違いしちゃうんだよ。

みんなでクルマを持つようになってまだたった1世代。腕時計をするようになって1世代だが、携帯のせいで売り上げが3分の1に激減。社会人のたしなみと誰も疑ってなかったはずのものが、1世代であっけなく終了。

タバコと酒の消費量は戦後で1人あたり5倍くらいになってて、今みたいにパカパカ摂取するようになって1世代。(だから健康被害とか出てくるんですよ。当たり前やがな)バカみたいな飲み会とかやってたのは実は団塊だけ。タバコは今のペースならあと0.5世代で滅ぶ。

自由恋愛も1~2世代ですよね。だいたい告白という風習が少女漫画から広まったものじゃなかったっけ。1世代。(社会慣習は意外とフィクションの影響を受けている)日本女性がブラジャーをつけるようになって1.5世代くらいか。今のスタイルの葬式がもうちょっと長くて2世代くらい?

ほかにも「実はたった1世代」ってモノや慣習は無数にある。ちょっとこの事実にお前ら恐怖したほうがいいです。

だからまあ、なんも考えず親世代の真似をしようとするのはやめろ。無理だから。親の言うことも聞くな。だいたい親もこの辺のこと分かってねえから。愚者は経験に学ぶ。しかもたった1世代の。終身雇用なんてギャグだし、ローンで家建てる前に経済誌でも購読するべきだし。
中庸っていうのね。これは、お釈迦さまの言った一番大事な教えなんだけれども、それは、あっちにもいかずこっちにもいかず真ん中を歩くということじゃなくって、あっちとこっち、その両方を行かないと真ん中にならないよ、という教えなの。中庸っていうと、真ん中を静かに歩くみたいな、そういう動きのないものになっているけど、いくら安定を求めたって人は誰だって揺れてるんだよ。

「初めのうちは気の付かない程度だが、ある日急に、何もする気がしなくなってしまう。
何についても関心が無くなり、何をしても面白くない。

この無気力はそのうちに消えるどころか、少しずつ激しくなってゆく。日ごとに、週を重ねるごとに、酷くなる。
気分はますます憂鬱になり、心の中はますます空っぽになり、自分に対しても、世の中に対しても、不満が募ってくる。

そのうちにこういう感情さえなくなって、およそ何も感じなくなってしまう。

何もかも灰色で、どうでもよくなり、世の中はすっかり遠のいてしまって、自分とは何の関わりもないと思えてくる。
怒ることもなければ、感激することもなく、喜ぶことも悲しむことも出来なくなり、笑うことも泣くことも忘れてしまう。

そうなると心の中は冷え切って、もう人も物も一切愛することが出来ない。

ここまでくると、もう病気は治る見込みがない。後に戻ることは出来ないのだよ。
うつろな灰色の顔をしてせかせか動き回るばかりで、灰色の男とそっくりになってしまう。

そう、こうなったらもう灰色の男そのものだよ。
この病気の名前はね、致死的退屈症と言うのだ」

ちなみに、最近の若者の行動パターンとしてよく言われる「自分から行動しない」「黙っていて言われたことしかしない」は、甘やかされた子供だけでなく、虐待された子供の特徴でもある。自分の判断能力を否定されて育った子供は、このような行動パターンを身に付けるようになる。

ホテルで服を買う人たち - 漂流する身体。 - BLOGOS(ブロゴス)

izumiumi:

20才の頃、お金も無く、良くてユニクロ、下手するとジャスコで服を買ってた。いや、ジャスコでは正確には買っていない。帰省した時に、親が僕の服装のみすぼらしさを不憫がって、近くのジャスコに夕ご飯の買い物に行ったついでに、安売りの服を買って恵んでくれてただけだ。当時、今で言う「リア充」は、わざわざバイトして、そのお金で好きな服を丸井や伊勢丹で買って、お洒落少年をやっていた。リア充爆発しろ、とはこのことだ。当時の僕は、バイトしてまで服を買う程ファッションに興味が無かったし、そんなお金が有ったら、少しでも出たてほやほやの初代Pentiumマシンのメモリを増やしたかった。

25才の頃は社会人3年目。デパートにはバーゲンなるものが有り、その時期だと安くお洒落な服を買える事をやっと発見した僕は、なけなしのボーナスを手に、デパートで服を買う様になった。しかし、その頃同世代のリア充は更に先に行っていて、バーニーズやVIA BUS STOPとかの、やや高級なセレクトショップで服を買っていた。デパートで買うDCブランドの服は、自己主張が強く、どことなくDQN感が漂う時も有ったが、リア充達がセレクトショップで買う服は、大人の余裕に溢れていて、僕はそこにファッションのスキルの差を感じざるを得なかった。

30才になると、そこそこお金も出来て、時代もバブってくる事になる。この年代になってやっと、ストラスブルゴやアリストクラティコみたいな通っぽいセレクトショップで買うようになり、欧州の古いメゾンのオーナーデザイナーが来日しての採寸オーダー会みたいなのをチェックして買ったり、ディオールやドルチェ&ガッバーナなど、自分のスキニ―な体型でこそ生きる服を多く揃える店によく行って、しまいには自分の担当が出来たり、いつしか服の買い方に関する変な劣等感は無くなった。

その頃、手練れのプロ独身みたいな洗練された女性と知り合った。外資系企業に勤め、日本版SATCみたいな感じの子だった。ある時彼女は、服を買いたいときはニューオータニに行くと言っていた。余り意味が分からなかった。少なくとも、これまで僕が経験してきたプライスタグともろもろの質が正比例するマッチョな世界とは違う軸の話なのだろうとは感じた。正直、服を買いにホテルに行くのは、想像力の範囲外の事柄だったので、その言葉に対し、僕は極めて曖昧な返事をした覚えがある。

そして、35を少し過ぎた今、やっと彼女が言っていた事が何となくは分かる。確かに、オータニやオークラは服を買いに行く場所として快適な場所だ。静かで、邪魔されず、店員は控え目な一方、二回目の訪問なのに僕が前に買ったものを覚えてくれている。古いホテルに入っている、いつも客が入っていないアパレル系のお店は、なぜ成立しうるか長年の疑問だったが、プロ独身女性みたいな「お金のある、うるさ方」が太い顧客なのだろう。こういう人は服はもう十分に持っている。だから、服そのものだけが買い物の目的では無く、服を買うプロセスにもこういう人はスペシャルを求め、そのプロセスを消費している。そうすると、単に服の品揃えが良い店より、自分の好みを知っている店、静かに買える店、客筋がいい店、みたいな所の評価が上がり、結果的に高級ホテルに入るに相応しい接客レベルのお店が、その種の人々に刺さることになる。

服を買うという行為の目的は服だけでは無い。オフィスワーカーは弁当が好きでコンビニで弁当買っている訳じゃ無いってことと同じだ。コンビニは、「少しでも長い昼休みの自由時間」「同僚との面倒な連れランチを断る口実」を弁当という形で500円のプライスタグ付けてオフィスワーカーに売っているのだ。

モノじゃなくて、イミを売る時代とは、人口に膾炙した言葉だが、きちんとその意味合いを理解すれば、正しくビジネスチャンスを捉えられる。コンビニは、より安くより美味しいお弁当を作るのではなく、より長い昼休みを提供し、より判りやすいランチを断る口実を提供する為に、オフィスワーカー向けの定時デリバリーサービスでも始めた方が、ビジネスチャンスは拡がる事だろう。外食に行って戻る45分を、コンビニで買って戻る15分にしたい人は、それが気軽にデリバリーされて0分に出来るなら、もう500円余計に払ってくれるに違いない。

身の回りで、愛妻弁当とか手作り弁当とか持ってきている人種は、本当に妻や料理を愛しているのだろうか、顔を思い出して考えてみよう。節約という人は居るだろう。でも、単に一人でランチを食べたいだけという人も結構居ないだろうか?そうだとしたら、そこに市場がある。

(ginzunaから)

人間誰でも、生きていれば死ぬわけだがこのことを前提に、僕はよくこう考える。死に際にやればよかったと思いそうな事をしてるときが、よい時間だと。死に際に、お金が欲しいとは思わないはずで、きっと、あそこに旅行行っときゃ良かったとか、あの人ともっと話したいとか、会いたいとかだと思う。
阿佐田哲也の小説を読んでいると、勝負事はゲームに勝つだけではなく、勝ったところでやめて、その場から離れ、かつ決してそこに戻らないことが重要で、このセオリーにまつわる話が何度も何度も出てきます。阿佐田さんはまた、勝ち続けることが大切なのではなく、ツキの流れの悪い時に賭け金を減らして、ツイている時に賭け金を増やし、かつ儲かっている間にゲームをやめる、こういった一連の、或る意味での”管理”が大切であることを説いています。
このことは賭け事だけでなく、広く経済活動を含む人間の営みの多くのことに当て嵌まる気がします。
私が7年働いてたバーの店長はどーしようもない男だったけど(笑)、凄く混雑して大変な時、オーダーがどうのとか、ミスがどうのとかじゃなくて、「どうだ?お客様は楽しそうか?」って1番最初に聞いてきた。凄く尊敬した。

モノをつくる、クリエイティブってのは音楽とか絵とか思われがちだけれどね、そうじゃない。

モノをつくるっていうと、みんな「自分的」なものばかりつくるでしょ。ぼく自身もそうだったから、それはよくわかる。でも、自分が編み出したと思っていたリズムも、実は昔からあったもので、そのことがわかったときに、モノづくりっていうのは何かが自分を通して過去から未来に通っていくだけだっていう風に感じたの。

結局のところ一番の衝動は楽しさなんだよ。自分が楽しくやるためにそうやってる。「ノッちゃうなあ」って感じ。そこに自分がいる。

親戚多くて年2回ペースで葬式がある俺登場

葬式で要注意なのは死んだ直後。
死んだ直後は取り乱してわけわからん事になるので、とにかく
協力者や他の家族がいるなら、泣いてないで家の掃除をさせる。
で、業者に『家に運んでもらう』
業者は葬式屋と組んでて、あの手この手で葬式場へ運んで
葬式を断れなくさせようとしてくる。だから絶対家に運べ。
もっと安上がりなのは自力でレンタカー借りてロングバンで無理やり運ぶ
方法もあるが、近所に不審がられるからオススメできない。

会場が必要なら葬式場じゃなくても全く問題ない。
葬式屋じゃなきゃ葬式出来ないなんて思ってるのは完全なアホ。
自宅が狭くて無理って言うなら
適当な会場に祭壇(レンタルで何と、3万から5万円)と、花屋のデリバリー。
計10万あれば出来る。もっと言えば、祭壇なんて日曜大工出来る人なら1万円で…

通夜は「家族だけで」と言って追い返すか、家に泊まってもらえ。
線香蝋燭役は誰か残れば良い。まぁつったって通夜やりたいだろうし
畳の部屋で葬式やって貸し布団レンタルが一番いいだろうな。体面的に。
食事はオリジン弁当とかのオードブルセットとジュース発泡酒で十分。
告別式は適当に。坊主には大体通夜5戒名5(通夜で計10)告別5包めば十分。
何人呼ぶかわからんが、このぐらいやれば花代でまずアシは出ない。
やろうと思えば、火葬以外は全部自宅でできるんだよ。葬式は。
事前に死亡届と火葬許可貰っとくの忘れんな。火葬場は公営のとこ予約しとけ。
火葬許可は埋葬届になるから大事に持っておけよ。墓? 知るか。